「マカ、夏祭りに行かないか」
旅の途中で立ち寄った小さな町の宿屋、その一室。
マカはバルコニーで暑気をはらんだ風を感じながら、祭囃子を聞いていた。
宿は高台にあり、町が一望できる。
その一角に灯りと、浴衣の人が集まっているのが見てとれた。
祭りか。
夏。提灯の灯り。食欲をそそる海産物が焼けるにおい。楽しそうな声。
マカは、風にのって聞こえてくる笛や太鼓の音を遠くに聞きながら、自分が蓮華だったときのことを思い出していた。
背中から声をかけられたのはその時だった。
情報収集をしてくる、と出かけていたトウジはいつの間にか戻ってきており、するりとマカの隣に並んだ。
「夏祭りだよ、夏祭り。興味ないか?」
会場と思しき町の一角を親指で指し、トウジは続けた。
マカは、夕日に照らされた精悍なトウジの顔を、そして指す先を順に見て言った。
「実は祭りには行ったことがないのだ」
「もしかして、あまり好きじゃないのか?」
退屈を好まないマカにしては、意外に思えた。
「いや、そういうわけではないのだが…」
マカは言葉を濁すと、視線を切り、バルコニーから部屋に戻る。自分の荷物のところに座り込み、何やらごそごそし始める。
トウジは窓越しにしばらくその様子を見ていた。
ふられたか、と思いながら。
ふと、マカがトウジを見た。目が合う。
立ち上がり、目が合ったままトウジの方に歩き出す。口を少し尖らせた、どこか怒ったような表情だ。
この顔のマカの感情は読みづらい。
照れているときもこの顔だし、本当に怒っているときもこの顔なのだ。
さて、どっちだ?
マカは手を伸ばす。
そして、カーテンを勢いよく閉めた。
「お、おい、マカ!」
掃き出し窓は開けっぱなしとはいえ、突然視界を遮られ、閉め出される格好になったトウジはうろたえた。
思わずカーテンに手をかけたところで、部屋の中からマカの小さな声。
「…部屋着では、出掛けられぬだろう」
デートの誘いは成功したのだ。
内心ほくそ笑み、カーテンを思い切り開ける。
「マカ、おれも着替え」
「この助平男!」
マカは素早い。
トウジは、マカが投げたクッションを顔面で受け止めた。
トウジとマカは浴衣に身を包み、連れ立って祭りの会場に向かっていた。
マカは長い髪をアップでまとめており、いくつかの髪飾りとかんざしで飾り付けている。
トウジはその中に、以前自分がプレゼントしたトンボ玉のかんざしを見つけた。
思わず顔が綻ぶ。
「よく似合っているじゃないか」
「…ジロジロ見るな、馬鹿者。」
トウジの視線を感じ、照れているのか、怒っているのかわからない例の顔をしながら、マカは言った。
「マカ様がかわいいからですよ」
トウジが返す。嘘偽りのない本心だ。
マカは俯き、ますます口を尖らせて、歩調まで早めた。
見た目はもちろんだが、なんだかんだでこういう場に贈り物を身につけてきてくれるところや、普段は自分の美しさを自画自賛しているくせに、こうして恋人に褒められると黙りこくってしまうところが、たまらなくかわいらしかった。
ここは畳み掛けておくか。
トウジも歩調をマカに合わせて、また横並びになる。
「マカ、はぐれるといけないから」
小さな手を取ろうとすると、マカはするりと猫のようによけて、悪戯っぽくくすくすと笑った。
「お前はでかいから、見失うことはない」
トウジは肩をすくめ、所在なくなった手で、とりあえず頭をかいた。
町の文化はトウジの故郷に近く、提灯や屋台など、彼にとっては馴染みのあるものだった。
道ゆく人たちは甚平や浴衣を着ていて、トウジはどこか懐かしい気持ちになる。
マカはというと、初めてらしくキョロキョロと落ち着かない。興味を引くものが多すぎるのだ。
「まずは何か食べようぜ」
マカが初めての祭りを楽しめるよう、トウジはごく自然にリードをかって出る。
マカも異論はない。ニヤリと笑って素直にトウジに従う。トウジに、ではなく腹の虫にかもしれないが。
アツアツのたこ焼きをふうふう頬張り、脳天貫くほど冷えた炭酸水で流し込む。
射的でトウジに勝負を挑み、返り討ちに合う。
ヨーヨーを釣って、勢い余って速攻で破裂させる。
踊りの集団に混ざって、周りの真似をしながら踊る。
イカ焼き、焼きそば、かき氷、冷えたパイナップル、レモネード…
あれはなんだ?これは?
初めて見るものや、気になるものはトウジにたずねながら、マカはよく食べ、よく笑った。
夜も更け、ちらほらと屋台の店じまいが散見されるようになってきたころ、祭りを満喫した2人も帰路につこうとしていた。
ふと、会場の端に紙で飾り付けられた笹が並んでいることに、マカが気づく。
「トウジ」
トウジはマカの視線を追う。
「ん?…ああ、七夕だな」
夏の行事の一つで、笹に願い事を書いた短冊を吊るすと願いが叶うんだ、とトウジが手短に説明した。
トウジの故郷とは違い、この町では旧暦に執り行うようだ。
なるほど笹の1本に近づいてみると、様々な願い事が書かれた紙がたくさん吊り下げられている。
そばの年季の入った木製の台に、ペンと何も書かれていない紙の束が置かれていた。
誰でも書いて吊るしていい仕組みのようだ。
「本当に叶うのか?」
「どうだかな」
トウジとマカは目を合わせ、そして意味深に笑いあった。
その意味は、願いを叶える秘宝を追い続け、そして長い旅の果てにその正体を見た2人にしかわからない。
「せっかくだから、飾ってくか?」
トウジがマカに促す。マカはレモネードを置き、ペンと紙をとった。
だが、何を書くかは迷っているようだ。ペンを持つ手は止まっている。
そんなマカを横目に、トウジはさらさらと書いてさっと自分の分は吊るしてしまった。
「何を書いた、トウジ?」
「マカがおれに優しくしてくれますように」
「お前はそればっかりだな!」
ひとしきりじゃれあうと、マカはまた短冊に向き合った。
目を閉じ、一呼吸。目を開けて、意を決したように書き始めた。
「…城下の夏祭りは、危ないからと、いつも城から眺めてるだけだった」
手を動かしながら、マカがつぶやく。
「でもにぎやかで楽しそうでな。ある年どうしても行きたくて、姉さまに駄々をこねた。姉さまは観念して、次の年は必ず連れて行ってくれると約束してくださったのだが…」
実は祭りには行ったことがないのだ。
出かける前に、マカが言った言葉を、トウジは思い出していた。
「マカ」
トウジが何か言おうとするのを、マカは短冊をトウジの鼻先に突きつけて封じる。
「てっぺんにつけろ、トウジ」
短冊の文面はトウジの方に向いていた。
トウジが、来年も夏祭りに連れて行ってくれますように。
トウジは、マカの願い事を受け取り、そして一番背の高い笹のてっぺんに吊るす。
振り向き、マカに向き合い、手を取る。マカは、今度は逃げなかった。
「マカの願いは叶うよ」
「本当か?」
「ああ」
絶対に。
トウジは身をかがめ、顔をマカの耳に近づけ、かすれ声で続けた。
マカは少しだけ、照れているのか、怒っているのかわからない例の顔をして。
それから微笑んだ。
唇はマカが飲んでいた、レモネードの味がした。
< 了 >